わが国のジーンズ産業発展の歴史、その中核は江戸時代にまでさかのぼる伝統的地域産業から発展させ、 今日にまで至っている(備中)岡山の職人魂だったのです。
東京オリンピックが開催された1960年代初頭、高度成長期を迎え、生活にもゆとりが出てきた若者たちの ジーンズへの憧れは高揚していました。自分達も映画のスクリーンに登場するヒーローのジェームス・デ ィーンや赤木圭一郎のようなカッコイイ穿きこなしを実現したいとばかり、お小遣い銭を手にジーンズを 売る(中古衣料)店に殺到し始めていました。この頃、需要の増加を見込んで国内でもジーンズを製造した いという流通全体の要求にも関わらず素材も縫製も本物とは程遠いのが日本の現状でした。
デニム(生地)はジーンズの代名詞になるほど切り離せない間柄です。そのデニムは長くアメリカ産が中心 で、1975年までに続々と台頭してきたわが国の(岡山県児島・井原地区)ジーンズメーカーは、輸入代理 店を通じてこれらアメリカ製デニム生地を購買することに躍起となっていました。「だが待てよ!岡山は 江戸時代からの綿花綿織物の産地ではないか。よしアメリカ産にも勝るデニムをこの地で作ろう」と、地 元織物企業が次々と開眼して行ったのです。
1967年、岡山の染色屋が家業であった藍染めを発展させて工業生産用の「連続工程」の開発に成功。1970年 には広島の染色屋がアメリカの高級デニムの組織を徹底分析し、「ロープ染色」工程の完成度を著しく高め た国産第1号の染色機を開発。それらの徹底した創業者精神は伝統的藍染めの色や風合いの伝統技術をモ ダンなジーンズの世界へと継承して行きました。欧米人のドライな合理化マインドによって1980年代以降 ほぼ切り捨てられてしまった「リング精紡糸」×「ロープ染色」の手法は、その後も日本(岡山)製デニム づくりに「こだわりのニッポンマインド」(家業精神)として温存され続けています。本物のデニムが見直 され始めた今、この「日本(岡山)のこだわり」が欧米からも高い評価を得る要因の一つとなっているのです。
やがて国内大手の綿紡績会社もこれに呼応するかのようにデニム素材への対応を強化して行きました。倉 敷の大手紡績は太番手用の紡績設備を岡山工場で拡充し、1973年、初の国産ヘビーオンスデニムを開発、 児島の被服会社によって純国産ジーンズが産まれました。その後もさらにジーンズの国産製造への欲求が 求めら続け、繊維産業の総合的インフラに優れた西日本、瀬戸内海地区の備中・備後へと製造現場が傾斜 して行ったことにより、今日まで続くデニムの一大産地が形成されていきました。